2012年10月24日水曜日

京町住居跡碑


 小倉駅南口側にあるエスカレーターを降りたところにある、京町住居跡碑である。碑文にはこの碑より南25mの場所に住居があったと記されている。


 しかし、この碑の足元に埋め込まれば説明にあるように、現在の碑がある場所が実際に旧居があった場所とのことです。当初小倉駅ロータリーに設置されたものが、小倉駅前の整備に伴い移設された場所が、ちょうど旧居あとだったようです。納まるべきところにおさまったということですね。

 これは、昭和33年ころの小倉駅南側の写真です。まだロータリーの整備はされておらず、当然碑もありません。時代は流れます。

2012年10月23日火曜日

小倉城


 昭和34年に概観復興された、小倉城の天守閣。1837年に焼失して以来の復興となった。

 鴎外が勤務した陸軍軍司令部は、リバーウォーク側からみると、この天守閣の向こう側になる。もちろん、鴎外のころにはこのような天守閣を望むことはできない。しかし、城壁やお濠などは存在していたと思われる。

 市民に憩いの場を提供している、城内周辺は、気持ちの良い空間が広がる。風景が異なっていたとは言え、鴎外もこの界隈を逍遥したのであろう。なお、写真の方向を向いて経てば、左斜め後ろ方向に、偕行社が有ったことになる。

2012年10月20日土曜日

逹見旅館

鴎外が小倉に到着して最初に投宿したのが逹見旅館です。その後玉水旅館となり近年までは残っていたようですが、4年ほど前に和服のお店がそこを借り受け営業をしています。

 写真がそのお店です。建物自体は玉水旅館のときのまま使用しているそうです。たまたま外で一服されていたお店の方にお聞きすると、この建物の持ち主の方は写真左奥に今もお住まいとのことです。お話をお聞きしたいような気もいたしましたが、いきなりわけのわからぬ人間が押しかけるのも失礼と考え、思いとどまりました。

 それにしても、やっと逹見旅館の場所がはっきりしました。この右手に行くと、小倉から長崎へ向かう長崎街道起点があり、そこに鴎外が登庁時に渡っていたであろう常盤橋がかかっています。

乃木希典居住宅の趾

室町あたりを散策した後、リバーウォークあたりを自転車で行き過ぎようとしたとき、偶然見つけました。リバーウォークと小倉城址のお濠との間にありました。

 歩兵14連隊長心得として明治8年12月から10年2月まで、乃木希典が居住していた場所。

 森林太郎と乃木希典の関係は調べていませんが、お互い心通ずるところがあったようです。ドイツ留学の時期も重なっていたようで、そのあたりからの繋がりかもしれませんし、森が津和野、乃木が長府出身というふうに、出身地がかなり近いということもあるかもしれません。

 森林太郎が小倉に赴任するために東京を発つとき、見送りはほとんどなかったとのことですが、乃木希典は見送ったと記録されています。

 また、乃木希典とその妻が自刃した後5日ほどで、森鴎外が「興津弥五右衛門の遺書」という小説を書き上げ、その死を否定的に捉える意見から擁護しようとしたとされているようです。

 
参考  Wiki  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8
     北九州文学散策  http://dendenuta.exblog.jp/6792616/




2012年10月19日金曜日

歩兵第14連隊の碑

歩兵第14連隊の碑

 北九州市立中央図書館の敷地内に、歩兵第一四連帯の跡であることを示す碑が建っている。写真の後方に見えるのが図書館の建物だが、この碑に気づく人は少ないだろう。この図書館はよく利用するのだが、私も本に出ていたので初めて知り、探しに行って見つけた次第。

 この連隊は、鴎外の主たる職場である軍司令部の近くにあり、小倉日記の中でもその名が何度か出てくる。1904年にはこの連隊も日露戦争へと出兵している。

 連帯の占めていた場所は、図書館や公園となっており、恐らく近くの弓道場などもその敷地内だったのだと思われる。一時期乃木希典もこの近くに住んでいたらしいが、その場所はまだ調べていない。

2012年10月16日火曜日

京町の住居

京町の鴎外旧居
6:明治31年の市街図
6番が鴎外旧居の場所で
4番が三樹亭

 現在小倉駅前魚町側のエスカレーターの足元に、鴎外旧居の場所を示す碑がある。駅前開発などに伴い3回場所を変えたようだが、現在ある場所が、たまたま旧居のあった場所と一致しているという。鴎外お気に入りの三樹亭は、そのすぐ近くにあったのですね。

 最初に住んだ場所が、地図の10番のところ。そこに比べて、京町は当時の歓楽街のすぐ近く。職場に近づいたとも言えるが、やはり少しは賑やかな方が好きだったのですかね。

2012年10月15日月曜日

三樹亭

三樹亭の宴会場
鴎外がしばしば会食に利用した三樹亭の宴会場の写真とのこと。明治中期の小倉に存在したものとすればかなりおしゃれな場所であったようだ。ここには美人姉妹がいたとのことである。



その後、三樹亭はなくなり、カフェライオンとなったとのこと。
このカフェライオンでは松本清張が芥川賞を受賞した際の
祝賀会が行われたということ。
しかし、現在ではこのカフェも存在しない。


 これら三樹亭やカフェライオンがあったのは、京町のようなので、鴎外の2番目の住居のすぐ近くだったと思われる。三樹亭に関する資料を、私は今のところほとんど見つけることができていない。美人と言われる姉妹の写真や、提供していた料理などがわかると面白いのですが。