多くの軍人が駐留するには、飲料水の確保も重要である。軍医としての鷗外(森林太郎の名を使うべきかもしれないが、鷗外に統一する)は、衛生的な水の確保のための視察も行ったとされている。そして水源から水道を引くことまで考えていたらしい。
小倉の街の中心を、紫川が流れている。街中の地下水では塩分を含む上衛生上問題ありと考えた鷗外は、この紫川上流まで水質を見に行ったようだ。そしてその源流近くから取水することを提案しようとしていたとされる。
現在その地の辺りには鱒淵ダムができている。鷗外とその建設には直接結びつかないかもしれないが、水源として着目した鴎外の考えがそこにつながっていると考える人もいるようだ。
鷗外との縁は、伏流となったのち、現在の小倉(北九州)に現れ、影響を及ぼしているのかもしれない。
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