2013年1月11日金曜日

黒木為禎(ためもと)

 黒木為禎が西部都督(小倉)にいるころ、鴎外も赴任したことになる。薩摩藩士の子供で、日清戦争の時には第六師団長として出兵している。日露戦争においては第一軍司令官となる人物であり、ロシアとの戦争が避けられないとの見方が出てきていた1900年頃に黒木近衛師団長が小倉にいたということは、やはり戦争という面から小倉がかなり重要な位置を占めていたことが窺われる。

 小倉日記にはあまり出てこないので、鴎外との交流はそれほどなかったのかもしれない。日露戦争では、その勇猛果敢な戦術から、ロシア軍からはクロキンスキーとあだ名され、黒木率いる軍隊はくろき軍として恐れられていたという。

 またロシア軍を破った軍人として、アメリカでは乃木などより有名だったようだ。

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