2013年2月12日火曜日

地下

 北九州において、戦時中には地下建築物や地下通路などがあったと聞く。空からの攻撃を逃れようとすると、どうしてもそうなるものだろう。古代ヨーロッパにおいては、都市の隅々に水を供給できる水路を作り上げ、その上に、つまり2階に町を作り上げたと聞く。だからイギリスでは日本で言う1階のことをground floorと呼ぶのだとか。そして、フランス語やドイツ語でもそうらしい。恐らく複雑に入り組んだ地下通路が今でも存在しているのだろうが、戦略的機密に属する事項であろう。そういえば、ヒトラーが地下通路を通って逃げたなんてことも、だからこそ信憑性を感じてしまうのでしょうね。

 当然、東京にもそのような構造物が存在していたと考えるのが自然だろう。

 そこで、鴎外が作成した東京方眼図を検討した人がいる。そして、その地図には帝都の地下経路が隠されているというのだ。ちょっとその本を読んでみようと思っている。どうも実際にはない地名が加えられていたり、補助線のような直線が加えられたりしているらしい。

 東京方眼図のことを知ったときには、なぜ鴎外が地図なんか作ったのだろう、と少し奇異に感じた。しかし、軍の中枢に近いところにいた森林太郎であれば、そして軍機密を地図に隠しこむということであれば、すこし納得しやすいような気がする。

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