2013年2月18日月曜日

衛生学

 鴎外がドイツ留学をしたころ、衛生学というのは先端の学問であった。鴎外の留学の目的も、その公衆衛生学を学ぶものであり、近代衛生学の父と呼ばれる、ペッテンコーファーの元を最初に訪れている。ミュンヘン大学に最初の公衆衛生学講座を開き、初代教授となったペッテンコーファーのfirst nameであるマックスにちなんで、鴎外の孫に真樟(まくす)と命名したとも言われている。

 当時のヨーロッパ大きな問題であった、コレラの流行を、下水道の整備でかなり抑えることに成功したことが彼を有名にしたこととされる。コレラ菌がコレラの原因ではないとの考えや上水道より下水道の整備が大切だとの考えなど、後になって修正せざるを得ない間違いもあったが、衛生学を医学の一分野として確立した功績は大きいだろう。

 鴎外自身も帰国後に下水道の整備を強く訴えていたようだ。山県有朋などが、上水道の整備の方を優先するのに対し、日本において、下水道の整備も重要であることを主張していたとされる。

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