2012年9月17日月曜日

小倉市

 町村制が1889年に施行された際に、小倉城下の企救郡の中の25町が小倉町としてまとめられた。そして鴎外小倉赴任の翌年、1900年に市制施行により小倉市となっている。鴎外赴任当時の小倉は、新たに師団が置かれ軍人の往来が増えたとは言え、人口が2万人を僅かに超える程度であったとされ、寒村であったと思われる

 鴎外の小倉異動を、日露戦争に向け重要な小倉の軍医部長としたのは栄転とみる考えもあるようだが、当たり前に考えるとやはり左遷人事と感じる。八幡製鐵所の作られた八幡村などは、人口8000人程度であったようだ。

 現在の北九州市は1963年、小倉市、門司市、戸畑市、若松市、八幡市の5市が合併して誕生した。小倉市は小倉区となり、1974年には、小倉北区と小倉南区に分けられた。北方に存在した衛戍病院の流れをくむ小倉医療センターは、小倉南区に存在する。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

鴎外自身は左遷と考えていたようだ。石黒という人物との関係が問題。人事とはそんなもの。