2012年10月10日水曜日

脚気減少は果して麦を以て米に代へたるに因する乎

 鴎外、森林太郎について概観する際、脚気問題は避けては通れないだろう。

 これまで私は、陸軍と海軍、ドイツ医学とイギリス医学、西洋医学と漢方医学という対比の中で、あるいは、東大医学部ひいては当時の医学会の趨勢という観点から、兵士に提供する主食をあくまで白米で通すという林太郎の態度もやむ無しと考えていた。しかしいくつかの本を読むうちに、日清戦争や台湾赴任の際に多数認められた脚気患者、特に脚気による死亡数から見て、森林太郎は何か手段を講じるべき立場にあったはずだと感じるようになった。

 森林太郎が小倉に赴任した後、小池局長が陸軍大臣に対して上申した内容は、白米主義が脚気発症の多いなる要因であることを述べたものである。その内容は実に簡潔明瞭であり、拘りなく聞けば、兵食を改める方向へ進むのが普通だろうが、上記タイトルの一文を発表している。小倉という、中央から離れた場所にいて少しは客観的に見ることができそうなものだが、離れているがゆえに中央とのつながりを意識したのか、あくまで主食に麦を混ぜることに反対する文である。

 林太郎は明らかに方向転換するチャンスを逃した。そして、数年後第一師団軍医部長として赴いた日露戦争において、戦死者以上の脚気死亡者を出してしまったのである。

 鴎外のこの態度は、現代の薬害にも通ずるものがある官僚の態度とも言える。これは鴎外の人生において、大いなる汚点と思われるが、本人はその点につき語ることはなかったようだ。多数の兵士が戦争そのものではなく、脚気で死亡した事実に対する大いなる責任は林太郎にもあるというのは否定できない事実だろう。同じ日露戦争で、白米とともに麦も兵食として提供した海軍やいくつかの陸軍の部隊において脚気死亡がほとんどなかったことを見ても、実に残念なことである。

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