2012年10月13日土曜日

偕行社の変遷

初代

2代

3代

 この写真は、小倉偕行社の変遷を示している。鴎外の小倉日記には、将校への講義や訪問客との食事の際などにこの偕行社を利用したとの記事がよく出てくる。2代偕行社の落成が、明治35年1月とのことなので、鴎外が東京を戻る直前に完成したことになる。クラウゼヴィッツの戦論の講義などは、主として初代偕行社で行ったことになるだろう。

 初代の写真右下には、勝山橋の文字が見えるので、手前の広い道に見える場所は、紫川にかかる橋と思われる。わたしが見つけた明治33年の小倉市の地図では、常盤橋しか描かれていないが、その後勝山橋もかけられたのだろうか。だとしたら、鴎外はこの橋もわたっていた可能性がある。

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