明治33年10月から翌34年7月までの間、鷗外は犬を飼っている。門司の人から買い受けたようだ。長毛で白黒の小犬のようである。
「ころと呼べば即ち来る。更めて葫蘆と名づく (小倉日記)」
葫蘆というのは夕顔や瓢箪を意味するようだ。なぜそのような名前をつけたのかはわからないが、ころという響きにこの漢字をあてただけのような気がする。犬を表すのに夕顔ではピンとこないし、瓢箪とも違うような気がする
ひょっとすると、瓢箪の川流れ、という表現が合うような、ふらふらうろつきまわり、うきうきと落ち着きのない犬だったのかもしれませんね。
それにしても独身の鷗外が、どのような顔をして犬と接していたのでしょう。一人身には小犬慰めとなったのでしょうか。
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