2012年10月20日土曜日

乃木希典居住宅の趾

室町あたりを散策した後、リバーウォークあたりを自転車で行き過ぎようとしたとき、偶然見つけました。リバーウォークと小倉城址のお濠との間にありました。

 歩兵14連隊長心得として明治8年12月から10年2月まで、乃木希典が居住していた場所。

 森林太郎と乃木希典の関係は調べていませんが、お互い心通ずるところがあったようです。ドイツ留学の時期も重なっていたようで、そのあたりからの繋がりかもしれませんし、森が津和野、乃木が長府出身というふうに、出身地がかなり近いということもあるかもしれません。

 森林太郎が小倉に赴任するために東京を発つとき、見送りはほとんどなかったとのことですが、乃木希典は見送ったと記録されています。

 また、乃木希典とその妻が自刃した後5日ほどで、森鴎外が「興津弥五右衛門の遺書」という小説を書き上げ、その死を否定的に捉える意見から擁護しようとしたとされているようです。

 
参考  Wiki  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8
     北九州文学散策  http://dendenuta.exblog.jp/6792616/




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