2012年12月11日火曜日

肝膿瘍

明治32年8月5日 歩兵大尉水町恒一郎の葬を送る。肝膿瘍に死し…

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 細菌感染に対して抗生物質を使うのは、現代では当たり前となっている。しかし、初めて抗生物質が発見されたのは1929年のことであり、明治32年には存在しなかった。怪我などで細菌が体内に入れば、それで命取りになることは決して稀なことではなかった。

 肝膿瘍となれば、抗生物質のある現代でも治りにくい場合が少なくない。上記の大尉は剖検(解剖)を行われたこともあり、その葬儀に鴎外も参列したのであろうか。その剖検自体に鴎外が関わったかどうかはわからない。

 鴎外のことを調べていると、なんだか鴎外もつい最近の人物のような気がしてくるのだが、抗生物質のない時代と考えると、やはり随分昔の話なんだと思う。

 ちなみに、初めて発見された抗生物質はペニシリンで、フレミングによって青かびから単離されています。鴎外が亡くなってから約7年後のことです。

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