2012年12月8日土曜日

麥酒

 日本におけるビールの歴史はよくわかりませんが、もともと入ってきたのはイギリスのビールであったろうと思います。しかし明治になりドイツビールが入り、プロシアがフランスに戦争で勝ったこともあり、ドイツかぶれといってもいいような世相も反映し、ドイツビールが主になったのでは思われます。プロシア軍の伝統的儀式とされるビールの一気飲みも、当時のドイツへ留学した帝国陸軍将校などによりもたらされたことでしょう。

 森鴎外もそのころのドイツに留学しています。自分はビールをせいぜい2ℓ程度しか飲めないのに対し、ドイツ人が12ℓ程度を飲んでしまうのに驚いたようです。そして鴎外の書いたものには、ちょくちょくビールが出てきます。

 小倉日記の中にも「麥酒を酌みて時事を談ず」などという記載があります。そのビールは日本で作られたものなのか輸入ものなのかは判りかねますが、きっと安いものではなかったでしょう。

 またうたかたの記では、陶器製の蓋付ビールジョッキの事なども書いています。さて時事を談じたときはどのような器でビールを飲んだのでしょうか。東京の森鴎外記念館には、鴎外のものとして蓋付ビールジョッキを展示していましたが、小倉にまで持ってきていたのでしょうか。

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