2012年12月5日水曜日

翁草


 国語の教科書で読んだ鴎外の小説の中に、高瀬舟がある。この小説の題材は翁草という随筆集から得ているという。これは、京都町奉行所の与力を務めた神沢貞幹(1710年~1795年)が記述したもので、明治38年(1905)に全200巻が刊行されたようである。鴎外はかなり興味を持ってこの随筆集を読み込んだようで、鴎外の書き込みのある本が残されているとのことである。

 都の大火を記録したものとしては、鴨長明の方丈記が有名であるが、神沢貞幹(杜口:とこう)はそれ以上の筆致で、天明の大火(洛陽大火、1788)の仔細を翁草の中に書き残している。その時の杜口は79歳。火事の火元からその時々刻々の広がる具合まで、恐らく自分の足で取材をして記載したものと思われる。

 この翁草のなかに、同心が船中で流人と語った内容が記されており、そこから鴎外は高瀬舟を紡ぎ出したわけである。江戸時代に安楽死という概念があるとは思えず、杜口自身がそれを念頭においていたとは考えられないが、そこに鴎外はユウタナジイ(安楽死)の問題を感じ取り小説としたのであろう。そこのところは鴎外自身が高瀬舟縁起の中で語っている。

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