2012年12月9日日曜日

地図

「明治32年6月29日 夜吉田茂太郎至る。小倉地圖稿を示す。同年7月1日 吉田の地圖成る。」

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 吉田は福岡出身の軍医で、日清戦争の時は鴎外の部下だったとのこと。29日に作成中の小倉の地図を鴎外に見てもらいに来たのだろう。地図を作ることを鴎外から指示されて作ったのかもしれない。新任の軍医部長として、その地の地勢を知ることをまず第一としたのだろうか。その2日後の7月1日に完成している。

 鴎外は東京に戻ってから東京方眼圖という地図を作成している。地図を方眼に区切って表す手法は、当時の日本にあっては珍しいものだったらしいが、東京方眼圖の完成品は販売にまでいたったとのこと。地理を知るということに、鴎外は重きを置いていたのでしょう。

 鴎外は完成した小倉地圖を片手に、小倉にある軍施設などを視察して回ったのでしょう。その地図は今東大に保管されていると聞くが、一度見てみたいものである。

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