2012年11月20日火曜日

上りの汽車はなほ妬かりき

 鴎外が日露戦争に従軍した際に詠んだとされる詩歌が、うた日記として発刊されたのは1907年である。その詩歌の中に
 「夕風に袂すずしき常盤橋上りの汽車はなほ妬かりき」 
の一首があるという。

 常盤橋は、小倉にいる鴎外が、登庁の際や散歩の際など頻繁に渡った橋を指しているのだろう。現在もそうだが、当時の地図を見ても、常盤橋の少し海側を鉄道が走っている。夕風と書いているところから、日課としていた食後の散歩のときの風景や想いを思い出して歌にしたのだろう。

 常盤橋から見える上り列車に乗れば、東京へ戻れる。その上り列車をみて、妬ましさを感じていたなぁ。その後第一師団軍医部長となり東京に戻れることになったが、やはりあの時はつらかったなぁ。東京へ戻る知人を見送るのもなんとなく心に引っかかるものがあったが、列車を見てもうらやましく感じていたなぁ、といったところだろうか。

 小倉日記には、左遷と自身が思っていることを示す部分はほとんどないと思うが、後になり振り返って詩歌として感情を吐露する際には、素直な想いを表現できたのでしょうか。

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