2012年11月4日日曜日

貝原益軒


 鴎外は第12師団軍医部長の間、小倉だけでなく、福岡、佐賀、熊本、大分と広範囲の視察を行ったいました。視察を兼ねて旧跡などを訪れることも楽しみとしていたようです。福岡の衛戍病院などを視察した際には、貝原益軒の墓を訪れています(明治32年9月26日)。

 貝原益軒は福岡藩(黒田藩)に仕えており、薬草学や朱子学など広い知識を持っていたようです。益軒は江戸時代初期の人で1630年に生まれ、没年は1714年というので85歳という長命の人でした。83、4歳頃に養生訓を書き上げた養生の専門家であるだけのことはありますね。

 そんな益軒が養生の実践としてあげていたものの一つに、食後の散歩があります。食後はすぐ横になったりせずに、数百歩の散歩をすることにより、食気を十分巡らし解消することを勧めていたのです。

 鴎外の書簡によれば、鴎外は食後に小倉の街を一時間ほどぶらぶらしていたようです。養生訓の教えを実践していたのではないかと、私は勝手に想像しています

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