2012年11月27日火曜日

都督部

 都督部というのは、作戦計画、訓練、教育を担当した陸軍の組織で、明治29年に設立された。東部、中部、西部の三つの都督部が存在し、東部は東京、中部は大阪、そして西部都督部が置かれたのが小倉である。天皇に直隷した組織とされ、都督部所在地にある師団は他の師団に比べて上に見られていたようである。

 第十二師団は、そのような位置づけとなり、北清事変が起こり、露西亜との戦いが確実視されていた時代にあっては、軍組織上はかなり重要な師団であったと思われる。ならばその師団の軍医部長としての赴任というのもかなり重要な意味合いがあったと推察される。

 鴎外の小倉赴任が左遷とする場合、日本の西の果てであるとか、第十二師団であるとかから判断している場合が多いようである。しかし実際、この赴任は軍組織としての異動であり、左遷か否かは軍組織としてどうであったかではかられるべきであろう。そのような視点から見るとどうかは、軍組織についての知識がない私には判断できない。ただ、松本清張は、当時の第一(東京)、第四(大阪)、第十二(小倉)師団の軍医部長を見てみると、序列通りの配置であろうと述べている。

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