2012年11月7日水曜日

衛生隊演習

 通常は9時出勤、3時帰宅という公務員生活を送っていた鴎外も、演習などは随分大変だったのではないかと思います。衛生隊の演習となれば、軍医部長である鴎外が統括するものであったと推測します。
 
 演習場所も小倉から離れた場所まで衛生隊を移動して行うこともあったようです。小倉日記中には、天気は雨であることと、演習をしたということくらいしか書いてありませんが、兵隊さんは徒歩、鴎外にしても馬での移動でしょうから雨だと大変です。実際当時の地方新聞には、膝まで泥につかりながらの演習なども報じられていたようです。

 明治34年7月9日には、演習の帰りに「金邊嶺をこえて小倉に帰る」とあります。今でこそその場所はトンネルができており、小倉から南に行く際の主用道路となっていますが、当時はかなりの急登坂だったはずですから、その一行でも大変さが伝わってきます。

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