明治34年12月29日 始て新連絡船を用ゐる
鴎外はこの時始めて、門司ー赤間間の連絡船に乗り、上京したことになる。この後も、しばらくはこの門司駅が九州の玄関口としての役割を果たしていたわけだが、関門トンネルの開業に伴い、1942年にそれまでの大里駅が門司駅となった。トンネルの出口がそれまでの門司駅よりずっと小倉よりになったためである。
九州の玄関口としての門司港は、その役割を終えたことになる。現在はレトロ地区として再開発され、年間200万人程度の観光客が訪れると公表されている。
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