2012年11月26日月曜日

赤間関

 現在の下関港あたりが赤間関と呼ばれていたようだ。1889年に日本で最初に市制が施行された市の一つとして、赤間関市が誕生したとのことだ。そして1902年に現在の名前である下関市となっている。山口県の瀬戸内にある上関、中の関、に対しての下関と思われる。

 赤間関は赤馬関とも表記されていた関係で、馬関(ばかん)とも呼ばれていた。鴎外がいた頃には、この赤間関には遊郭があったようだ。鴎外の上司であり軍医総監でもあった石黒忠悳が鴎外に宛てた書簡で、「赤間関にちょくちょく遊びに行っているのではなかろうな。」という意味合いのことを述べている。ドイツ留学から帰国した際の一事件も含め、石黒氏からみると、鴎外はそちらのほうでちょいと心配だったのだろうか。

 鴎外はその書簡に対し、「軍務に精進しており、仕事で赤間関に行くことがあっても朝行って、夕方には帰ってきている。先日旭町(小倉の遊郭街)であった送別会には参加すらしませんでした。」という旨を返事している。なにか微笑ましい。ただ、ここまで一生懸命潔癖を語るのは、やはりそれまでいろいろ言われてきたからであろうと推測できる。

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